2011年07月02日

行ってきました! エストニア Part 2

続きです。タリン旧市街を一歩抜けたところに忽然と現れた謎のドーム。
110625_001.jpg

足元まで行くと、このようになっています。高さ60mの巨大ステージ。
110625_002.jpg

ここは Estonian Song Festival Grounds(エストニア語でLauluväljak)。
エストニア合唱祭広場。このステージだけで、1万5千人からの歌手を立たせられるという
巨大なもの。振り返って見ると、広大な芝生。こちらは、普段観客席として使われます。
5年に一度開かれる合唱祭ともなると、10万人クラスの観客動員があるそうです。
広場の公式サイトはこちら。普段は誰でも出入りできる公園になっています。

110625_003.jpg
タリンの人口がおよそ40万人、エストニアの大きさが東西、南北とも差し渡し約300kmだから
エストニアの大音楽国ぶりが窺えるというもの。
それ以上に言っておかないといけないのが、彼らエストニア人が、民族の歌の力で
ソビエト連邦の圧制を跳ね返したということ。いわば歌の革命。
その経緯は2006年のドキュメンタリー映画 The Singing Revolution (日本未公開)に
詳しいということで、DVDを仕入れてみることにしました。

その観客席に鎮座しておられますのが下の写真の先生です。
1959年にこの広場を作る原動力となったGustav Ernesaks グスタフ・エルネサックス先生。
エストニア男声合唱隊(Estonia Male Choir, エストニア語の頭文字でRAM)の創始者で
1944年から93年の死去まで、合唱祭の正指揮者・音楽監督を勤め上げられました。
エストニア合唱の父というわけです。
110625_004.jpg

初日に泊めていただいたのは、そのエルネサックス先生の邸宅を、
エストニア国立コンサート協会で買い取って、ゲストハウスに改装したもの。
合唱祭広場から徒歩5分ぐらいの至近距離にあります。
(アイヴァールさんは、その改装に自らかかわったと聞きました。)
家全体が博物館というわけです。宿の案内によると、エルネサックス先生の生前は
常にドアが開けっ放しにしてあり、友人や音楽の指導を求める学生、文化人関係の重鎮が
引きもきらなかったそうです。お人柄ですね。
外観はろくな写真が撮れなかったので、公式サイトのほうをご紹介しておきます。

中のほうは、こんなに素敵。これは先生の書斎。なぜかタクシーの屋根の上に載っている
アンドンまでもが飾ってありましたが。エストニアのタクシーはTAKSO といいます。

110625_006.jpg

これは私が泊まった部屋。合唱祭をリードした音楽家の一人、バイオリニストの
Uno Järvela 先生の名前がついています。

110625_005.jpg110625_007.jpg

実はこのゲストハウス、エルネサックス先生とともに合唱祭の原動力となった
諸先生方の名前が部屋ごとについていまして、チェックアウトのとき、
エルネサックス先生が運転する列車の後ろに、こうやってぶら下げるようになっています。
110625_008.jpg
そのほか全館に、エルネサックス先生の絵画やイラストが、
いたるところに飾ってあります。

この時期、エストニアでは深夜0時を回っても完全に真っ暗にはなりません。
このあたりでまだ6月24日の午後9時ぐらい。雨が上がっていい天気になっています。
というわけで、次は付近を散策したときの模様をお届けしようと思います。
(なかなか音楽本編に入らないなぁ)
posted by きりく・ハンドベルアンサンブル 福田 義通 at 11:22| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記