2011年07月31日

行ってきました! エストニア Part 5

もう7月も終わりですね。お話のほうはまだ2日目だったりします。

午前中、リハーサルを済ませたあと、Tallinn Town Hall Squareへ。ソノスの面々と再会です。

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ここは6月26日の午後、オープン・エア・コンサートの会場に。
特設ライブステージで参加団体が2曲ずつ持ち曲を披露し
Bells Art の開幕を告げます。

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その昔は、市場から娯楽まで、市民生活に深くかかわっていたというこの広場。
娯楽の少なかった時代のこと、処刑も一般大衆へのガス抜きのようなものでした。

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すっかり観光地化してます。こんなマトリョーシカの着ぐるみまで。

広場前のレストランで、ソノスの面々とお食事。
ニシンのグリルに果物のソースをあわせて。
ビールの昼酌がことのほかよく効きます。Sakuというんだけど
たまに日本でも飲んでみたくなります。
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ソノスのメンバーのユッカが、実はこっちのほうがルーツで
彼とエストニアで一杯やるのを楽しみにしてました。
前回の日本ツアーのときは、ツアー中ずっと日本のビールで通したって。

こっちはサーモンのグリル。
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こちらの方はアルシス・ユース・アンサンブルのメリリンさん。
舞台衣装だろうけど、赤いドレスがものすごく似合ってます。
今回きりくのツアーガイドについてくれました。
コンサート会場の受付からきりくのCD,DVDの売り上げの面倒まで
すっかりお世話になりました。多謝!
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このあとが本格的にフェスティバル日程。
この日は夜になってからホスト役のアルシスのコンサートを観戦(!)
写真を撮るものではないので写真で紹介できないのが残念ですけど
一言でいってパワフル。歌が入ると本領を発揮します。
Web動画では伝わりきらないとは思いますが、
アルシスの演奏風景がこちらから見られます。
この日の演目とは違いましたが、彼らの実力の一端をご覧あれ。
合唱だけでも超がつくほどの絶品。
(実際に合唱だけの演目もありました)
この歌のパワーと表現力を、ベル単体でも実現できたら。
世界は実に広い。今回の旅行の一番の収穫だったと思います。

いちど日本できりくとツアーができたら、と思います。
私、こういう言い方はめったにしませんが、
お金を出して日本に呼んでも損はしないと思います。
プロモーション会社の方、いかがでしょうか!

明日26日からはジェットコースターなみに仕事の嵐!
posted by きりく・ハンドベルアンサンブル 福田 義通 at 07:54| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2011年07月14日

行ってきました! エストニア Part 4

更新があいたと思ったらいつの間にやら梅雨明けしてます。
エストニアから帰ってきてまだ2週間というか、もう2週間というか。
ずいぶん遠い昔の出来事のような気もするし、つい昨日のような気もします。

お話はやっと2日目。Ernesacs House をあとに、午前中リハーサルを行う
アルシス・ハンドベル・スクールへ向かいます。
エストニアは右側通行。路面電車やトロリーバスが併用軌道を走り回ってます。
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街を一回り。この建物は、エストニアの国会議事堂です。
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旧市街トームペア(Toompea)地区に程近く、エストニア楽友協会の建物の中に
アルシス・ハンドベル・スクールはあります。
エストニア語だとArsise Kellade Kool.
ベルに当たる単語が Kellade ということになるわけですが、
系統的にはゲルマン語系になるんでしょうな。
ドイツ語なら glocken, オランダ語だと klokken.
フランス語はというとラテン語系ですが cloche となって
なんとなく似てます。
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リハーサル風景。当方は、本番直前だと疲労が残らない程度に
押さえざるを得ないので、いったん引いて撮影です。
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私のパートに関していえば、重量と航空運賃の制約で
自分のところの楽器を持っていくわけには行かないのです。
世界相手に、というなら当たり前のことではありますが。
ピアニストだと調律師がいますが、こちらはとことん自分で調整し
借りたあとは元のように復元する必要があります。
前回、2009年のアメリカツアーではハンドベルメーカーのマルマーク社から
貸してもらいましたが、あの時は正直調整に苦労しました。
今なら、部品が壊れていない限り、何を持ってこられてもどんと来いです。

テーブルはマルマーク社製のスポンジ組み込み折りたたみテーブル。
ところが、スポンジのほうがうちで使っているものよりだいぶ柔らかい。
マレット、プラック系の音が立ってこない。ある程度硬いテーブルを
回してもらうようにして、注意しながら工夫して、ようやくきりくの音が出せるように。
実はこのエストニアツアーに一緒に参加した盟友ソノスが借り物で
苦労してまして、ソノスのジェイソンによると
やはり一緒にこのフェスティバルに参加したフィンランドのドルチェから
一式全部借りることになって苦労したそうです。
エストニアのあと、そのままフィンランドへ渡って演奏をこなし、
今頃アメリカに帰ってるはず。
参加団体同士、もっとこの辺の交流が面と向かって出来ればと思いましたが
一応連絡先はもらってあるので、気が向けばご紹介するかもしれません。

ちょっと脱線しました。もうひとつ脱線。
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おトイレの入口にあった「ピクトグラム」。さすがにハンドベル・スクールらしく、
ちょっと洒落てます。

今日はまだコンサートのない日。午後は市内観光です。
posted by きりく・ハンドベルアンサンブル 福田 義通 at 00:35| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2011年07月04日

行ってきました! エストニア Part 3

まだ到着した日の夜です。これで確か現地時間の9時は回ってたかな。
Ernesacs House から徒歩5分ほどのところはタリン湾になっています。
メンバー全員連れ立って散歩としゃれ込んでいます。
遠目には指揮棒を振る天使の姿。近づいて見ます。

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Webをあちこち調べて見たところ、この天使の像の名前は「ルサルカ・メモリアル」。

1893年、天気が悪くなりつつなるのを押して出航したため難船(乗組員は全員死亡)した
ロシアの軍艦ルサルカを記念して1902年に建てられたそうです。
ソビエト支配下当時は、ロシア正教会式の十字架も取り外されていたとのこと。

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まだ当分沈まない夕日を眺めつつ。明日(25日)は早速練習です。
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posted by きりく・ハンドベルアンサンブル 福田 義通 at 22:08| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2011年07月02日

行ってきました! エストニア Part 2

続きです。タリン旧市街を一歩抜けたところに忽然と現れた謎のドーム。
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足元まで行くと、このようになっています。高さ60mの巨大ステージ。
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ここは Estonian Song Festival Grounds(エストニア語でLauluväljak)。
エストニア合唱祭広場。このステージだけで、1万5千人からの歌手を立たせられるという
巨大なもの。振り返って見ると、広大な芝生。こちらは、普段観客席として使われます。
5年に一度開かれる合唱祭ともなると、10万人クラスの観客動員があるそうです。
広場の公式サイトはこちら。普段は誰でも出入りできる公園になっています。

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タリンの人口がおよそ40万人、エストニアの大きさが東西、南北とも差し渡し約300kmだから
エストニアの大音楽国ぶりが窺えるというもの。
それ以上に言っておかないといけないのが、彼らエストニア人が、民族の歌の力で
ソビエト連邦の圧制を跳ね返したということ。いわば歌の革命。
その経緯は2006年のドキュメンタリー映画 The Singing Revolution (日本未公開)に
詳しいということで、DVDを仕入れてみることにしました。

その観客席に鎮座しておられますのが下の写真の先生です。
1959年にこの広場を作る原動力となったGustav Ernesaks グスタフ・エルネサックス先生。
エストニア男声合唱隊(Estonia Male Choir, エストニア語の頭文字でRAM)の創始者で
1944年から93年の死去まで、合唱祭の正指揮者・音楽監督を勤め上げられました。
エストニア合唱の父というわけです。
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初日に泊めていただいたのは、そのエルネサックス先生の邸宅を、
エストニア国立コンサート協会で買い取って、ゲストハウスに改装したもの。
合唱祭広場から徒歩5分ぐらいの至近距離にあります。
(アイヴァールさんは、その改装に自らかかわったと聞きました。)
家全体が博物館というわけです。宿の案内によると、エルネサックス先生の生前は
常にドアが開けっ放しにしてあり、友人や音楽の指導を求める学生、文化人関係の重鎮が
引きもきらなかったそうです。お人柄ですね。
外観はろくな写真が撮れなかったので、公式サイトのほうをご紹介しておきます。

中のほうは、こんなに素敵。これは先生の書斎。なぜかタクシーの屋根の上に載っている
アンドンまでもが飾ってありましたが。エストニアのタクシーはTAKSO といいます。

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これは私が泊まった部屋。合唱祭をリードした音楽家の一人、バイオリニストの
Uno Järvela 先生の名前がついています。

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実はこのゲストハウス、エルネサックス先生とともに合唱祭の原動力となった
諸先生方の名前が部屋ごとについていまして、チェックアウトのとき、
エルネサックス先生が運転する列車の後ろに、こうやってぶら下げるようになっています。
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そのほか全館に、エルネサックス先生の絵画やイラストが、
いたるところに飾ってあります。

この時期、エストニアでは深夜0時を回っても完全に真っ暗にはなりません。
このあたりでまだ6月24日の午後9時ぐらい。雨が上がっていい天気になっています。
というわけで、次は付近を散策したときの模様をお届けしようと思います。
(なかなか音楽本編に入らないなぁ)
posted by きりく・ハンドベルアンサンブル 福田 義通 at 11:22| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2011年07月01日

行ってきました! エストニア Part 1

6/24からエストニアに渡り、欧州文化首都 Tallinn 2011 の一環 Bells Art に、
きりくは日本代表として参加、多くの演奏者と交流、
北欧にファン層を拡大して帰ってまいりました。
その道中記をレポートします。

成田からの便は11時発のフィンエアー74便。
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今となっては4発機は希少種。A340はエコノミーでも横8列でした。
ヒコーキファン以外にはどうでもいいことですが、A300と胴体の太さは同じで、
会社によっては横10列で飛ばしています。8列でもちょっときつかったけど、まぁ。
ゴハンのほうは、夕食が「バジルクリームチキン」か「ソース焼きそば」
軽食が「チャーハン」。うーん。当たり障りは少ないんだろうけどなぁ。
機内でいただいたフィンランドのビールは美味。

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9時間半でフィンランドのヘルシンキに到着。持ち込んだ飲み水は
一度入国審査の際、全部没収されます。
フィンエアーはわりと水を配ってくれる会社で、2リットルも持ち込まないでも
すんだんですね。座席に着くとシートポケットに350mlのミネラルウオーターが。
ずっと気流が悪くて立てないなんて事態も季節によってはあるだろうけど
500ml1本持ち込めばまぁ大丈夫じゃないの?

で、フィンランドといえば、そう。お〜い、兄弟。
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Bells Art の開催地、エストニアの首都タリンまでは
フィンランド湾をはさんで110km、30分の距離。
ターミナルからバスで連れて行かれた先は・・・

プロペラ機!コミューター路線というわけですね。
フィンエアーの定期路線第1号はヘルシンキ-タリン線なんだそうです。
子会社のフィンコムという会社が運航しています。
そして、あれに見えるはきりくの楽器。よくぞ無事で・・・
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いよいよ、元・鉄のカーテンの向こう側へ。
ソ連崩壊から20年しかたっていないのが信じられません。着いた先は・・・
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土砂降り。おまけに露天駐機。バスもないのでターミナルまでダッシュ。
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ターミナルを出て、ホスト役のアルシス・ハンドベル・アンサンブルの
お迎えを受けます。中央にいる、黒髪の女性が世話役のティーナ・コドゥマエさん。
それと、国営放送がドキュメンタリーを作るとか言って、カメラが来ていました。
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こちらのドライバーが、もう一人の世話役、アイヴァール・メイさん。
ツアー中、お父さんて呼んでました。後で聞いたらまだ51歳なんですが
何ていうかすごい貫禄の人です。こちらも後姿。
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このあときりくが向かった先は・・・?次回をお楽しみに(ぉぃ)

posted by きりく・ハンドベルアンサンブル 福田 義通 at 23:20| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記